象形/あいだ/世界―小島徳朗の造形

小林信之


 文字とは、すでに先立って成立した言語体系を容れる器であり、いわば、自己同一的な意味(シニフィエ)が固定的に張りついた視覚形象である。それは、ある共同体の成員に共有された記号(シニフィアン)として、思考を言語的に固着させ永続化させる装

置である。

 手によって甲骨に刻まれ、あるいは書き記されることで文字は、そのときどきに、無限のずれをはらんで多様に現象するだろう。しかしわたしたちは、そのつどの文字の形象を捨象して、その向こう側に、ある意味だけを注視する。わたしたちのまなざしは、そのつどの現れの物質的差異と、手という身体性の痕跡を切り捨て、まるで透明な媒体のように文字に向かう。そして甲骨文字から、碑文、手書き文字をへて活字にいたると、文字の透明性はさらに高められたことになろう。

 ところで文字は象形から起こったといわれる。象形とは、すでに意味的に分節化された自然の事物に似せて形づくられた文字である。しかし漢字以外の他の象形文字は、ヒエログリフもマヤ文字も、表音文字へと展開するか、消滅するかして、もちいられなくなってしまった。漢字においてのみ、象形文字にはじまる複雑で豊饒な記号体系が今日なお存続し、現代の先進的思想内容さえ表わすことができるのは驚くべきことかもしれない。なるほど現在のわたしたちはもはや漢字の由来についても、また活字文化が数千年の文化的堆積のうえに築かれたことについても、とくに意識する必要などない。わたしたちにとって漢字は、たいていの場合、単なる符牒として機能するにすぎない。しかしながら、それでもなお漢字は、とりわけその原型をなす象形文字としての漢字は、その形態のうちに、生誕の記憶を留めていることを忘れてはなるまい。たとえば白川静の『字統』からうかがわれるのは、漢字の象形が、自然と人為の多種多様な相の象徴性をおびていることであり、しかもその一字一字が呪的な由来をもっていることである。象形文字としての漢字の体系は、呪的なものの受肉した世界にほかならなかったのである。

 たしかに洞窟に壁画をえがき、物の形象を写しとる技を会得した時点ですでに人間は、物や行為を意味的に分節化し、言語的なコミュニケーションを我がものとしていたにちがいない。しかしながら人間が文字記号において「象る」ことは、音声言語をあやつることとも、また画像によって物を写しとることとも、まったく別の経験であったといわねばならない。

 一九九〇年代にはじまる小島徳朗の一連の作品群を前にわたしが感じたのは、この原初の別の経験を喚起する造形力であった。彼がめざしているのは、わたしたちがもはや彼方に忘れ去った太古の書法(エクリチュール)の両義性、つまり意味と形象、言葉と受肉という両義的経験(いわば「あいだ」の経験)が発生する現場に、絵画の側から歩み寄って

いくことだったのではなかろうか。この点にわたしは、小島が画布のうえでみずから再現し、我がものにし、呼び起こそうとしているものの正体を見極めたように思ったのである。

 このことは、小島徳朗が書の芸術を強く意識していることからも裏付けられるであろう。彼は「東洋絵画に通底する書の感覚」、その文化的伝統に自覚的であり、その延長上において、比類ない形象の世界を構築しようと企てている。そして「書に見られる構築性と抽象性」をみずからの造形の骨格をなすものとみなそうとしている(2011年個展カタログより)。

 そもそも書という芸術形式自体が、文字そのものに目を向け、その原初性、象徴性、呪性を、ことさらに反復する営みであるともいえよう。しかもそのつどの、手の運動、その身体性、筆と墨の偶然性、物質性とともに、ひとつの意味を浮かびあがらせ、そのことで同時にわたしたちをエクリチュールの発生の現場へと連れもどすのである。

 福永光司によれば、中国における書芸術の本質は、天地自然の理法のミーメーシスにあるという。つまり書の技法とは単なるテクニックではなく、筆と墨とをもちいて天地造化の営み―孫過庭の言葉をつかえば「自然の妙有」(『書譜』)―に参入し、天地自然の理法を人為によって紙や絹のうえに表現してゆくための法則という意味をもつ(福永光司『中国の哲学・宗教・芸術』、人文書院、1988、p.175)。この点で書と画とは、「名を異にして体を同じくす」(張彦遠『歴代名画記』)といわれるように、根底において一体のものとして意識されていたのだといえよう。

 さて、このように書芸術に連なる造形原理を基盤とする小島の絵画を解釈するために、わたしは大きく、線、色彩、タイトルという三つの着眼点をあげておきたい。

 まず線による構築性。小島の造形活動の出発点には、線を画布に、いわば「刻みこむ」ことで、堅固な抽象的・建築的空間を作りだそうという方向性がある。しかもそうした彫刻的な線が、書にも呼応するような、日本画固有の特性をなしている点を彼ははっきり自覚している。こうした線への意識は、立体へと展開する可能性を秘めており、じっさい近年小島は、針金のような鉄線による立体作品を多く制作している。

 つぎに色彩であるが、ここでは線やフォルムと対峙するものとしての色彩ではなく、とりわけ岩絵具の物質性を意味している。つまり色彩ということで、絵画が純粋な視覚性に解消せしめられ、線と形態とが漂い消えてしまうのではない。むしろここで問題とされているのは、刻みこまれた線に浸透し一体化した、あくまで表面色としての色彩、物質としての質感を残した色彩なのである。

 そして最後にタイトルをあげよう。小島はいったん絵画なり立体なりを仕上げたのちに初めてそのタイトルを構想するという。このことは、彼の作品が造形のみで完結するのではなく、そこからさらに言葉へと沈潜していくことを意味している。「究/行」(2007)、「ゆ/と/ま」(2007)、「み/め/つ」(2008)、「円/位」(2011)、「互/回/在」(2011)等々といったタイトルからうかがわれるのは、「画面のなかに未だ見ぬ秩序を探そうと転げまわる時間の厚み」である(小島徳朗「タイトル考」2008年)。ここには、先に象形文字につい

て触れたような企て、つまり名ざし意味づける言語がやがて文字として立ち現れる原初の風景を何度も反復しようという試みに、通じるものがあるであろう。

 書のうちに自己の造形世界の骨格を見いだした小島徳朗の方法は、意味と形象、心と身体、言語と物質の「あいだ」に道を定める。そしてそのことで彼が求めてやまないのは、初めて甲骨に文字を刻んだ人のごとく、日々記号、イメージ、意味と戯れつつ、それらの発生の現場に触れることではあるまいか。

(こばやしのぶゆき・早稲田大学文化構想学部 教授)